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2005年04月24日

●37w3d あと1日 ざっと妊娠総括(前半分)

・2004年、鬱で生理が止まってたのでむかついて婦人科受診。第2子はほしかったので。まじめに基礎体温。結果無排卵傾向も強いことがわかり、まず漢方と生理起こす薬と。自分的に今、この今に次の子供を迎えたいという勢いが強く、気長に待ちたくなかったので、排卵誘発剤を処方してもらう。エコーでは卵胞の育ちがあんまりよくなかったが、無事妊娠。というわけで不妊治療をしての妊娠であり、排卵日受精日すべてはっきりしております。よって予定日も即5月12日と決定。

・胎嚢の育ちはものすごくよく、ほんとにぴちぴちの受精卵だなあという感じであった。いつもまんまるな胎嚢で、しかもすごく広い部屋を持っている。生命力の強さがわかった。

・4,5週ですぐにつわりが始まった。はじめは、とにかくめまいがひどく、立っていられない。次いですぐに吐くようになる。吐きつわり6割食べつわり4割。今、このつわりについての記録を書くだけでまた目が回って吐きそうになる。このつわり時期に撮った写真などを見ることができない。思い出すのよ。仕事どころでなくなり、2週間休職。漢方だの点滴だので対処するも、気休め。つわり時期は吐き気めまいだけでなく、ほんとに異様だった。臓器移植の後の拒否反応ってこんな風になるんじゃないかと思った。38度毎日熱がでたり、腕や脚を引きちぎりたいほど体中すべてが気持ち悪くなったり。痛さともかゆさともまた違う違和感。文字通り、のたうちまわっていた。


・の、つわりの最中に(中略)いろいろ衝撃を受けるが、その後妊娠全期間を経て考え直すことができ、自分にとって安穏に仕事はしてられないという危機意識を持つことができた。ここから、仕事に対する意識がまた変化し、あと会社に依存せず如何に自分自身に能力を身につけそれをセルフプロデュースできるかが大切かと考え始める。ここから、結果的に、今後の自分の将来に対する目標を定めることができた。とりあえず第2子が公立保育所に入れるまでは(中略)、自分の能力をもっともっと身につけて、羽ばたきたいです。


・で、2週間で復帰したが、(上のことがあり首になるわけには逝かなかった)
行き帰りの車にはゲロ袋を下げ、ときに道端で大きな声でえづき、
職場ではトイレを占領し、どうにも止められなくてフロアにゲロゲロしてるえづく声が響いていました。みなさんすいませんでした。
蛍光イエローのゲロがよく出てました。


・なんだかんだいって妊娠6ヶ月くらいまで吐き、7ヶ月入るまでつわり感覚は残っていました。


・つわり止めのリリーフバンドを買おうとしたり、つわり止めに効くと言うツボに刺激をしたりしてました。効果は疑問。


・妊娠4ヶ月あたりからイボ痔出現する。その後、つわりと並び妊娠二悪となる。時間経過とともに悪化する。痛い。痛い。痛いんだよ…


・つわりとゆげじの病気などで有給がゼロになり、月9回の休みだけしかとれませんでした。とにかくだれにもとやかくは言われないよう、やけになってがんばってたら、それほど苦にならなくなりました。がつがつ出勤しました。


・妊娠と並行してマンション。無謀と思われた。(自分でも他人に対してならそう思う)  鬱回復直後だので主治医大いに心配。が、自分では精神が劇的に変化のあった頃で、あまり憂慮しない。


・妊娠15週あたりで張りやすさを感じるようになり、以後ウテメリンを飲み続けることとなります。ゆげとちがう張りやすさは、最後まで続いています。


・つわりと仕事こなすようになり、だんなの仕事のピークもあったが、乗り越える。ちょっとだけ、前より家事がこなせるようになった。


・仕事はつわり期以外、ペースを落とさずできた。しっかり育ってくれた第2子や、家が崩壊しきっても文句を言わずのんびりしてたダンナ、2歳半からどんどんしっかりしてくれたゆげじさんのおかげです。


・高知のばあちゃんが倒れたので、1月中旬に車で見舞いに行く。今はとりあえずだいぶ忘れっぽくなったけど、電話もしてくるし、ぼちぼち小康。


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続きは産後~


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2005年04月23日

●37w2d@あと2日 家でつづる最後の妊娠記録

さて、出産まであと本当に残り少なくなった。
深夜早朝には前駆陣痛で目が醒めたものの、
その後日中は張りが頻繁&腰痛がひどいくらいで子宮痛には至らず、とりあえずウテメリンは体に放り込んで
最後の家での一日をゆっくり… ではなかったな。
あーだこーだと右のものを左に動かし
左のものは上に動かし…と相変わらずどたばたどんくさくすごしておりました。

子宮が張っても、立ち上がると、おなかの上部、胃の前はもうふにゃふにゃ。そう、ここにはもう子宮がない。だいぶ下がってるという証拠。張ると前に飛び出していく。
第2子は相変わらずなもんで、NST中も寝てることが多くバイブレーターで起こそうとしても起きないやつなのだが、
今日もマイペースで寝たり起きたりしている。
彼がしゃっくりすればもうおなか全体がびくびくびくびくへこむのがわかる。
おなかの中は狭いようで、右のわき腹から、ときどき思いっきり足が突き出てくる。
ダンナに、おなかに耳をあててもらうと、心臓の音が聞こえるって言ってた。

ゆげの出産直前は、帝王切開についてすごく悩んだりして、
産後もどんな風になるのかまったく想像もつかなかったし、
今とはまた激しくテンションがあがって、入院したよ。
同じく午後からの入院だったのでおしゃれして元町でランチ食べたんだけどね~。
今回は悩みがあまりない。先の予測を立てられるので、いたって落ち着いている。とくに赤子に関して。わたしも、ダンナも2回目だしね。むしろ気になるのはゆげじで、ゆげにとってはこのイベントは初めて迎えることだからね。一番とまどったり泣いたり困惑したり喜びすぎたりびっくりしたりしてアタリマエなんだよ。だって、うちらが3年前ゆげじを迎える時にそうだったもん。わけわかんなくなって二人で大喧嘩したりお互いにイライラしたものさ!ついつい当事者の産婦が主人公になりがちなのだけれど、よくよく考えれば、間接的な出産体験をし、2番目3番目扱いにされがちな、でもこれから赤子と生活を密にともにする家族。おざなりにされたらそりゃフラストレーションもたまるのだ。

ゆげさんは、まあこの1ヶ月ちょっぴり甘えたなんだけど、
それよりか、何度も何度も散歩に行こうとせがんだり、
いっつもはもげじとしんちゃんと両方が揃わないと怒るのだが、
今日は「しんちゃんはおうちにおって!かーちゃんとうーちゃんがいってくるの!!」と、わたくしもげじを独占状態。
お風呂はダンナがいれば必ず彼と入るのだが、
今日は「かーちゃんとはいるねん」と自ら言う。
ゆっくり入ってたくさん遊んだ。
不安そうな顔をしたり、不安を具体的に言葉で表したり、ややこしく行動面に現れることもない。
ちょっとそれなりに違うだけ。
直感的になんかあるだろうし、でも、彼女の話を聞いてると、心の整理は3歳1ヶ月のゆげ論理の範囲で配置がされているのだ。
十分に頼もしいよ。

思い残すところ、もうほんとになんにもないぞ。
荷物は痒いところに手が届くようにそろえた。
(そろえすぎて海外逃亡しそうな勢い。かばんが○個。いくらGWだからっつっても… 明日の朝、とりあえず術後すぐにいるものが取り出せるよう詰めなおす)
冷蔵庫のナマモノはほぼ食べきった。予定出産はこれが便利だ~。
入院前日と当日用の下着はちょっとお気に入りのマタニティブラ&ショーツ。これぞまさに勝負下着。
(ぼろぼろのマタニティショーツはこの数日でガスガス捨てました)
ダンナはぽかーんと、うちらが帰ってくるまでのGWをどないして過ごそうか考えている。5/5まで休みとってるんだ。(会社からの出産休暇+有給ちょこっと+土日祝日で休み) もちろん病院には来るけど、その他、近所にできた温泉と元町三宮のラーメン屋めぐりとetc…などなど楽しそうである。まあ、いいと思うよ。ダンナの人生最後の夏休みだよ(わたしの産休より長いぞー!!) 
産後はいよいよますます、育児は共同作業になるからにゃあ。職場復帰したら家族全員で血の涙を流すだろうし。そうそう、わたし赤子が泣いてても最後まで起きなかったりするしね(笑


明日の朝、着替える前には最後のおなかを写真に撮ります。
帰ってきたら、ゆげじの時のおなかと比較しよう。
いまはね、ちょうど、【半円】に近いと思ってる。


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●はっきりいって

前駆陣痛の痛みより
痔の痛みのほうが
およそ35倍は痛い。max痔もといmax時ならさらに上かも知れぬ。
この数字がリアルさを物語るだろ。


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2005年04月22日

●まあ、今はやりやすい時代なんだよ@妊娠出産編

仕事では人生の大先輩方と話す。
すでに70代80代。もしくは90代。70歳くらい上の先輩も。
そんな皆さんの話は、いまのうちらの生活からは生まれてくることはまずない内容。


「共同井戸が一つしかなくて毎朝オムツ洗うためにバトル、しかし井戸から遠かったのでいつもorz」

「うちの父親は赤ちゃん取り上げることができて(無資格)重宝がられた」

「乳の出がよかったので、親戚の子によく飲ませた」

「○人子供がいるが、実はそれ以上に◎回中絶(何回妊娠したんだ?!」

「つわりで大福もちばかり試しに食べたがいまひとつ」

「オムツ洗ってめんどくさいから冬に外干ししたら全部カチカチに凍ってワラタ」

「ヤギの乳を」

「自分らの親の世代の話だが、双子は忌み嫌われていたので、おそらく腹の中に二人いるだろうと予測がついてたのに、一人生まれたところで、親戚が『あとはない』ともう一人を生みださせなかったところ母子ともに死んだ」


最後の話は想像を絶する。