ゆげ車窓より:
「おお、おつきしゃまがおったよ。」
「おつきしゃまげんきー??」
「あのねー、うーちゃんはいまからごはんをちゅくるのして食べるかから。」
「おちゅきさまはおふろはいってぱがま(パジャマ)きてねんねをちてよね。」
(中略)
「じゃー、うーちゃんおうち入るから、おちゅきさまさようならおつかれさま!」
相当話し込んでました。
最近、明らかに無機質な物体であるものも、擬人化ないしは偶像化?して、親しみを持ったり大切にする傾向があります。
モノダマシイってけっこう早期から作られるのね。
無造作に置かれた紙くずをみて、
「こんなんちてるね~!!」と、腕を伸ばしたり足を上げたり体をゆがませ自分でその紙くずとおんなじポーズ(のつもり)をとったりもする。あるいは針金くずが、ふと体があたってゆーらゆらと揺れていると、その動きを「うわあ、たのちいうれちいよーってちてるよ!!」と表現してゆげじ自身がさらにその喜びに浸っている。
27年(もうすぐ28年です)も生きてると下らない概念にひたすら捉われ相当に想像力が貧困になっているので、こういう想像力、創造力に触れることができるとわたしまで潤ってきてうれしい。細胞が新しいってステキ。なんか今ゆげじの考えること、言ってること為すことピチピチしてる。
最近毎日ほんとうに楽しそうに暮らしている。朝から晩まで。
歌をうたって踊って飛び跳ねている。目覚めてから眠りにつくまで。
自らできることが格段に増え、
自ら考えられることも格段に増え、
語彙が2歳後半から爆発的に増えたことで、表現の喜びを得る。
身についた想像力と言語力。
自分に身についたその力から彼女の世界はおそろしく広がり、自分の中からさらに喜びを楽しみをつくりだすことができる。
想像や言葉を行使しそこからさらに世界を得て楽しめるのは、
人間だけに許された喜び。
ちなみにゆげまだまだ舌足らずで、発音があかちゃんくさいです。文では彼女が言ったまんま書いてます。なんというか、発音の舌足らずさと、ひとにいちいちおせっかいをやきつつも自己主張が存分にちりばめられているところがBJのピノコにかなり被ってます。
「ふくろ、くくろ」:ほくろ
「おーかき」:おえかき
「ぼーいん」:病院。医療行為のまねごとあそびするときは「ぼーいんをしゅるの。」
「かんくちゅ」:ながぐつ。ブーツ。
「しんちゃん、○○ちてよね!」:最近世話やきかつ命令系が多い(とくにダンナに)。おばちゃんくさい。
ゆげは、2歳になった時点であんまりしゃべらなくて、すごい気になってたんですよね。どうなるのかって。その後、2歳半あたりから急激に語彙数もおしゃべりも絶え間なくなってきて、いまはなにも心配してないんですが。
言葉が遅くなってたのは、私が2ヶ月入院してたのと、その前の数ヶ月もほぼ廃人化していたせいなんだと思っています。
だって、退院後必死で生活を立て直してとにかくの安定を続けてきたら、なんだかゆげじものびのび育ちだしたからねえ。
一番身近な養育者の情緒安定が子供の成長に不可欠であることを痛感。